「本当に可哀相な人っていうのはね。才能が全く無いのに一生懸命努力している人のことをいうんだよ」
【渥美 清】
時代が変わったのか、日本人というものが冷めてしまったのか、才能が全く無くても努力している俳優というのを見た事が無い。
それでも、日本人というのは世界でも稀に見る努力好きの民族だ。あまりに努力好き過ぎて、何の為に努力をしているのかを忘れてしまう程の努力中毒だといっても過言ではない。
もっとも、そんな努力中毒の努力など、家でごろごろ寝ているのと同じ価値すらありやしないのだが。
俳優にも努力家というのが存在する。また、業界の指導的立場にある者はやたらと努力を奨励する。ところが、不思議なことに具体的な努力の仕方は教えない。
これでは片手落ちどころの話では無い。
間違った努力は実力の低下と精神の消耗以外の何物も生まないのだ。しかも、俳優に限らず芸事というものには金がかかる。時間がかかる。金と時間のどちらかを持っている者はいても、両方持っている者というのは稀だ。また、両方持っていたとしてもそれを効率的に使えねば結局は無駄である。
俳優は何故ダンススクールに通うのだろうか?
俳優は何故スポーツジムに通うのだろうか?
俳優は何故日本舞踊を習うのだろうか?
俳優は何故英語を学ぶのだろうか?
こう問えば大抵の者は「それが芝居に役立つから」という。
だが、週に1、2度通う程度でそれらの物は身につく物だろうか。プロのダンサーは毎日6時間から7時間、多い者だとそれ以上踊っている。他のジャンルも本気で身に付けようと思えば大変な修練がいる。
それにも関わらず俳優たちは時間割に虫食いの穴を空けるようにして様々な事をかじりまくっている。
多くの俳優たちは自分たちが何の為にその努力をしているのか分かっているのだろうか?
オーディションをやる度に履歴書を特技で埋めてくる者たちが必ずいる。そうした俳優に試しに芝居をさせてみると、これが見事な位に下手クソだ。不思議なことにそうした俳優たちの下手な理由というのが大体共通している。
その理由とは「テキストを読み取る事が殆ど出来ない」というものだ。念のために言っておくがこれはアマチュア俳優の事を言っているのではない。
当然だが、テキストをまともに理解出来なければ何をやっていようが全てが無駄に等しい。
ダンス、日本舞踊といったものが俳優に必要無いといっているのではない。俳優がそれらを何の為に学ぶのか?という事が重要なのである。
努力とは結果に至る過程で必要な行為のことをいうのであって、努力が単体で結果をもたらす事は無い。
意外にこれは深刻な問題だ。
俳優はよくよく考えて自分のやっている事を検証する必要があるだろう。