やる気と集中力について

「ロバート・デュバルは素晴らしかった。彼はテイクワンかツーですぐに乗ってしまうのだから」
【フランシス・F・コッポラ】

 現場において実際に演技する上で最も必要なものとは何だろうか?
簡単に言えば「高いやる気」と「集中力」である。
 デュバルは卓越した演技力を持った名優だが、彼の演技を支えるのは技量以前の高い「やる気」と「集中力」だ。
 そして、これは今の日本の俳優の多くに最も欠けているモノでもある。

 大分前のことだが20代後半のあるアマチュア俳優がしたり顔でこう言った。
 「長い公演だとプロは分からないように手を抜くのが上手いですよね。さすがだな、と思いました」
 また、新劇出のある30代半ばのプロ俳優もしたり顔でこう言った。
 「アメリカの俳優と日本の俳優に大した違いなんてないんですよ。あるとすればテンション(ここではやる気の意味)の違い。後は喋ってる言葉の違いだけです」
 まともな思考を持った俳優であるなら、この二人がいかにアホウであるか説明の必要は無いだろう。こういうアホウどもが映画・演劇を斜陽化させ、その社会的地位を低下させるのだ。
 プロ、アマ問わず俳優を5年もやると、やる気と集中力を低下させていく者が急速に増える。30歳も過ぎてまだ俳優をやっていると、今度はその事を一種のベテラン意識に転化しようとさえする者もいる。
 「芝居なんてモノはガツガツやるようなモノじゃない」
 というような言葉をキャリアの浅い者に吐くことがカッコイイと勘違いする。そして、それをカッコイイと思う若い俳優が必ず出て来て低いやる気の害毒は広がって行く。

 はっきり書いておく。
 低いやる気を格好良さに転化する者と、現場にドラッグを持ち込む者。この二種類のバカには手加減無しの一発を顎にお見舞いするに限る。10フィートほど吹き飛ばしてやる事が世の中の為というものだ。そして、こういう俳優もどきは何故か女優より男優に圧倒的に多い。

 俳優をやるという事に対するやる気が低い者が、現場でいきなり高い集中力を発揮することはありえない。
 逆に高いやる気と集中力で演技に臨む事が出来る者で「演技の伸び悩む」を感じている者は、自分の才を疑うより先に一歩引いて演技について考えてみると良い。こういう俳優というのは技量よりも、性格的な生真面目さによって過剰に自分を縛っていることが多々あるからだ。
 「高いやる気」とは日々の稽古でやたらと筋トレをやったり、怒鳴り声で無意味な発声練習を繰り返すことではない。
 「やる気」と「集中力」は俳優の最も基本的な、そして最も大きな武器だ。この二つが無ければ全ての技量は無駄に終わる。
キャリアを重ねるということはノウハウが増す一方で、基本を忘れ、惰性を呼び込む危険が増すということでもある。「やる気」と「集中力」だけで芝居が出来るわけでは無いが、全てはそこから始まることを忘れてはならない。

 日本人が従来からある日本語を英語(翻訳が正しいかどうかは別にして)を使って専門用語として使うようになって、精神構造の中に言い訳が沢山出来るようになった。
 「テンションが上がらない、チベーションが上がらない、だから困った」
 ようは、やる気が無いということだ。

>>第18回 俳優の矜持について