良い"集中"とは

「波紋ひとつ無い、静かな水面をイメージして下さい」【演技を始める前の俳優に対して】

前回の最後に書いたように「リラックス」と「集中」は表裏一体の関係にある。真の意味での集中とはリラックスした状態の元でなければ決してありえない。俳優はリラックスによって演技を行う状態を作り、集中によって役(演じる)に入ると言える。

この際、弊害となるのは間違った「集中」の仕方をしてしまう事だ。この間違った「集中」の仕方というのは俳優に限らず、何かを行う時の日本人(外国籍でも事実上の日本育ちであれば同じ)には非常に多い事のように感じる。

間違った「集中」とは何か?
一言で言えば無駄に「気合い」を入れてしまうという事だ。

分かり易く言えば、一点に凝縮するように「気合い」を入れて集中を図るという事。この型の「集中」を行うと「何かをやっている」という実感が非常に感じ易い為、この型の集中を行う俳優というのは多い。また、小劇場ブーム以降「怒鳴り芝居」が流行った事(既に20年)でこの傾向というのは益々強くなっている。

ここまで読んで、本格的に武道をやった経験がある方ならこの「集中」の仕方がいかに無謀であるか?という事が良くお分かりかと思う。

この集中の仕方をした場合、精神と肉体に力みを生じさせるので、俳優自身の実感と反して演技は上滑りし易くなる。特に微妙な演技になればなる程、この型の「集中」は俗に言う「クサイ芝居」へと俳優を導いて行く。

自分で良い演技をしたつもりなのに演出家にノーと言われ、自分がダメだと感じた時にOKを出された経験が多い俳優は、この型の「集中」をしているケースがよくある。

抽象的な表現になるが、本当に集中した時というのは「波紋ひとつ無い水面」のように精神が静かになる。この状態で役に入った時に劇世界は初めて自分の居場所となりえるのだ。これが「リラックス」と「集中」が融合した瞬間である。
この状態を作り出す為には「集中」する時の心のイメージが重要になる。 一点凝縮で力によって世界(役及び劇世界)に入るのではなく、スッと静かに自然に世界に入る事が必要だ。

人間というのは僅かな力みで身体が思うように動かなくなるものだ。ボクシングの試合で相手がグロッキーでまともに動けない状態であるのに、その相手に向けて出したパンチが外れるという光景をよく見かける。これは、パンチを出した選手がチャンスだと思って力むから当たらないのだ。

ボクシング以上に様々な動きを要求される演技において、間違った「集中」による力みがどんな悪影響を及ぼしてしまうのか?

考えずとも明白である。
「演じる勇気」「高い意識」を持っているのに、この集中の仕方を間違えているせいで演技が滑る俳優というのがいる。こうした俳優を見る度に酷く心の痛みを感じてしまう。

演技とは様々な要素が複雑に絡み合って出来るものだ。
この複雑な作業を最も良く行う為には出来る限りシンプルに考え、自然に感じることが必要だ。

思考を複雑にすればする程、演技が上手くいかない時の簡単な原因を見逃し、思考の泥沼へと俳優が導かれる事を覚えておいて欲しい。

>>第11回 人生経験と俳優の思考法