テキスト(台本)の正しい読み方

「深く考えないで小説を読むように読んで下さい。そして、読んだままに自然に感じて下さい」
【初見のテキスト(台本)に向かうキャストに対して】

初めてテキストを渡された時、アナタは何を考えながらテキストを読むのだろうか?

 

ここで多くのキャストは知らない間に間違いを犯す事になる。

多くのキャストはこの時、自分の役を中心にテキストを読むか、建築家が設計図を読むように即物的に作品の構造を理解しようとしてしまう。または「内容を理解しなければ」という焦りから懸命になってテキストを読んでしまうのだ。

一見、当たり前の事に思えるこの読み方の何がよくないのだろうか?
答えは感受性を殺した状態でテキストに接してしまうことである。そして、初見の印象は後々までキャストの脳裏に刻まれてしまうことが多いのである。

テキストを手にしたキャストが最初に行わなければならない事とは作品の全容をある程度感じ取る事である。その為には余計な思考をとっぱらった状態で、ピュアな感覚でストーリー(テキスト)に接する事が必要だ。役とはあくまでストーリーの構成因子の一つにしか過ぎないのだ。

ところが、余計な思考を頭に置くことは最初から色メガネを通してテキストに接する事になるので、素直にその内容を把握することが難しくなってしまう。

その結果は、なかなか役を理解出来ずに苦しむか、無駄な動きのオンパレードのベタベタした臭い芝居を悦に入ってやろうとする事になる。また、理解出来ないことを無理矢理に理解しようとして頭を悩ますキャストもいる。 (全てを理解しないと演技出来ないと思うのは、感覚欠如のキャストの悪癖である。こういうキャストで上手い芝居をする者を見た事が無い)

こうした事が起こる背景には、作・演出を兼ねる演出家が少ない事。テキストの理解をキャスト任せにしすぎる演出家(映像では特に多い)が多いという事。また、キャスト自身もテキストに接する際の謙虚さというのが余りにも欠け過ぎているという事がある。

新劇系の俳優養成所特有の「テキストの裏を読め」という、無駄な思考を奨励するレクチャーにも悪因がある。
そもそも、脳みそというものは「最初に感じ取り」「補足としての思考」というように出来ている。それを「感じ取る」作業をとっぱらって、最初に思考を持ってくる事が大きな間違いなのである。

テキストを感じる事が出来ない俳優の行き先は、大体において屁理屈好きの芝居下手という結果に終わる。
思考する事は重要ではあるが、演技を決定づける物とは感じる力、すなわち感覚なのであるという事を忘れてはならない。

>>第06回 "人として"という名の偽善