"人として"という名の偽善

「ハリウッドでは成功が全てである。成功さえ手に入れれば、人殺し以外のどんな事をしたって許される。いや、手にした成功が大きければ人殺しだって許されるかもしれない」【ダリル・F・ザナック】

20世紀フォックスの創設者であり、ハリウッド最後の大物と呼ばれた大プロデューサー。栄光と賞賛、悪名と罵詈雑言、その二つを欲しいままにしたザナックはショウビジネスの真実をストレートに語った数多くの名言を残している。

不思議なことだが、日本のプロダクションや劇団の多くでは「礼儀と人間関係」の大切さについて新人たちにやたらと口やかましく言う。
 俳優養成所にいたっては「演劇を通しての人間形成」「俳優道を通しての人生修行」などといった御大層な文句を並べ立てている所もある。
 「俳優以前に一人の人間として、人として一人前に・・・」
 という言葉が毎日数千回に渡ってあちこちで語られている。

これは恐ろしいマジックである。
そもそも、この世の中に「礼儀と人間関係」を全く無視してやっていける業種などというものが存在するわけがない。また、たかが俳優修行をやったからといって人間的に成熟するなどと言う事があるわけが無い。人間的な成熟度などというものは、その人間の性格と生き方によって決まるものであって、どういう業種であるか、などという事は一切関係無いのである。

それを事あるごとに、大義名分として並べ立てる所に日本のショウビジネス界の歪みがある。
ザナックの言葉通り、ショウビジネス界は成功が全てである。それ は日本においても全く変わりは無い。ショウビジネスはビジネスなのだから、全ては金を中心にして回っている。その世界で俳優に求められるのは商品価値以外の何物でもない。
「売れれば大名」「売れなければ足軽以下」という事だ。

だとするならば俳優達にとって最も重要なことは、演技を磨き、キャラクターを磨き、自分の商品価値を高める事以外には無いはずだ。そして、自分の商品価値を活かす補足として、人間関係や礼儀といったものが必要になってくるのである。

「演技が上手い」という事は「料理が上手い」という事と同じである。下手な料理の味を人間関係と礼儀によって補おうとする、馬鹿な料理屋がどの世界にいるというのだろうか。

演技を磨く事より、吹けば飛ぶようなチャチな人間関係の構築を奨励された挙げ句、消えて行くはめになる俳優の何と多い事だろう。俳優を育てるノウハウよりも、「人として」という万人に耳障りが良い言葉の悪用に精を出しているようでは業界の状況は益々悪くなっていく。 また、実態に合わないキレイ言の濫用は、その世界に居る人間の精神を荒ませ、ネジ曲げてしまう。

「人として」という言葉の濫用は、業界における「良い俳優を育てる」という意志の衰退を表している。高品質、高性能な商品開発に力を注いできた自動車業界、家電業界と比べると、大きな対比が浮かび上がってしまう。

俳優はサラリーマンやOLと違って自営業者であり、また、成功が極めて困難な業種である。
まやかしのキレイ言に惑わされず「何が最も大切なのか」という事を俳優たちは切に考えて欲しいと思う。

>>第07回 出来の悪い台詞を言う為に