即興トレーニングの危険について


「日本の俳優はグラディエーションによる感情の変化は得意だが、感情を急に切り変える事は苦手な者が多い」
【山崎 努】

 山崎のこの言葉は実に興味深い。
 「感情を急に切り替える事が苦手」という事は演技における「即興性の無さ」「反応の鈍さ」を表していからである。「即興性の無さ」は「想像性の固さ」とも繋がってくる。
 山崎の言葉は繊細な感情描写、多様な感情描写を得意とする演出家(私もそうだが)にとっては極めて深刻だ。舞台に於ける本番前の稽古、映画に於ける撮影期間で、演出家は俳優の新たな演技的可能性を引き出す事は可能だが、俳優に基礎技術を身につけさせる事は出来ない。当然だが、そんな事をすれば作品にインするまでの基礎レッスンだけで相当な期間が必要になるからだ。100億円かけたハリウッド映画でもそんなことは出来ない。

 さて、ここで大きな疑問が残る。
 日本中の殆どの劇団や養成所では演技初心者に対するレッスンの中に必ず即興を入れる。ワークショップでも即興を重んじる所は多い。こうしたプロ養成機関に限らず高校演劇などのアマチュアでも即興をやる。それどころか即興は不可欠な重要なトレーニング法だという認識が常識のようになっている。また、即興が好きだと言う俳優、得意だと言う俳優もいる。
 それにも関わらず、日本の俳優は何故「即興性」と「反応の鈍さ」という二つの弱点を持つ俳優が多いのだろうか?

 理由は簡単だ。
 日本の俳優教育では多くの場合に於いて、即興は素晴らしく無駄で、意味の無いトレーニング法として用いられているからである。そもそも即興の指導には演技指導者に高いレベルの指導力が必要とされ、簡単にやれるトレーニングでは無い。

 冷静になって考えてみれば分かるはずだ。ある設定(大体において驚く程大雑把な)を与えられ、登場人物のキャラクター、ストーリーの流れ、台詞、といったモノをその場で考えてやるなどという事は「ストーリーの構造」と「演技」についてかなり分かる者でなければやりようが無い。
 これを演技初心者にやらせた場合、まずその場しのぎの芝居をする事に懸命になる。これに慣れてくると自分を上手く見せる事のみを考え始める。ここがポイントだ「自分のみが考える自分の見せ方」という型がここで出来上がり始める。やがて、型が出来上がった者は役柄に自分をはめ込む事が良い演技だと勘違いするようになって行く。中にはアドリブをやる事イコール名演だと勘違いするアホウまで出てくる。こうして、何を演じても衣装以外変わらないという俳優が出来上がる。
 こうした俳優を演出した場合に困るのはテキストの「キャラクター」「ストーリーや演出上の流れ」といったものをなかなか理解出来ないことだ。理解出来たとしても、自分を見せるので無く役を見せるという事が感覚的に理解出来ない。そうなると大変だ。今まで俳優個人のキャラクターを見せる事が「遊び心」だと思っていたのが違うと分かった時、自分にあると思っていた舞台度胸さえも脆く崩れることになる。当然の事だが、人間は自分が感覚的に把握出来ない事をやった時にパニックに陥る。ここからテイクを重ねる度に凄まじい精神的消耗が始まる事になる。
 当たり前だが、ストーリーの流れとキャラクターを無視したアドリブなどありえないのだ。

 演技をする上でまず最初に必要なことは「感覚的にテキストを理解出来る」ことだ。アドリブをやる事が重要なのではない。そもそもアドリブなどいう物はそれに適したテキスト、それを意図した演出の場合に行われるものだ。テキストも製作意図も理解せずに俳優の色気だけでアドリブをやろうとすれば作品はメチャクチャになる。これは馬鹿馬鹿しい程当たり前のことだ。
 
 ここで、映画史上に残るアドリブについて紹介する。
 映画「三つ数えろ」の中でハンフリー・ボガート演じるフィリップ・マーロウが古本屋に訊き込みを行うシーンがある。マーロウと女性店員が絡むこのシーンは驚くべきことに全てアドリブである。このシーンを演出するに当たって監督のハワード・ホークスはマーロウのリアリティを出す為に敢えて全てをボガートに任せる演出を行った。このシーンを御覧になれば分かるのだが、最初からテキストに書かれていたとしか思えない程二人の俳優は長いシーンを見事に演じている。
 この即興はテキストとキャラクターを完全に理解出来、高い技術力がある俳優だからこそ成功した希有な例だ。この事でも分かるようにアドリブとは必然によって生きるものなのである。

 即興に話を戻す。
 何の必然性も無い状況下で頭で考えながら即興を行う事は俳優の演技思考を硬直化させ、演技の必然性を軽視する事にしかならない。現実にエチュードが俳優教育にこれだけ浸透しているのにも関わらず、必然性のあるアドリブや遊び心を持った演技が出来る俳優というのは滅多にいない。
 即興というトレーニング法は演技初心者に対してではなく、ある程度のキャリアを有する俳優に対して行って初めて意味が出ると言える。しかも、その際に指導に当たる者はストーリーの構造(ストーリー術といっても良い)と演出術についてキチンと把握している必要が絶対にある。
 即興は手っ取り早く「演技させている感じ」を錯覚させる為に有効だというマイナス側面がある。この為にインチキ養成所によっていい加減に濫用され、多くの俳優に誤解を与えてしまっている。また、現場における演技と即興との関連についてあまり良く分かっていない演技指導者による濫用もされている。これは日本の俳優教育における重大な問題点の一つだといってよい。

 俳優は自分が行っているトレーニングの必然性と有効性について正しく理解しなければならない。それがズレた状態で懸命になれば、懸命になった分だけ演技力は低下していくだけである。